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平成27年度(11)  沢山美果子 いのちを繋ぐ営みとしての”子育て” ―歴史に学ぶ

(11) 11/7(土)  沢山美果子
いのちを繋ぐ営みとしての”子育て” ―歴史に学ぶ

15のまなび 沢山美果子さん いのちを繋ぐ営みとしての”子育て”ー歴史に学ぶ

第11回 11月7日(土)「いのちを繋ぐ営みとしての”子育て”―歴史に学ぶー」
10:15~12:15 講座
12:45~14:00 講師を囲んで座談会・質疑応答
講師:岡山大学大学院客員研究員 沢山美果子先生

 昨日行われた11回目になる15のまなびは岡山大学で大学院客員研究員としてご活躍の沢山美果子先生をお招きしました。沢山先生は、江戸から現代までの子育ての歴史を紐解き、ご自分の子育てとも重ね合わせながらいのちをめぐる研究をすすめておられる研究者です。また、先生はもともと福島のご出身であり、東日本大震災によって原発被害が未来の子ども達にツケとして回ってしまった事にも心を痛めておられる事も冒頭でお話して下さいました。そのこともあり、「いのちを繋ぐ」ということに責任を感じ、このテーマで研究を進められています。沢山先生には3年連続で来ていただきました。前回、前々回のお話も参加された方にとって新たな気付きになったことがわかるぐらい、今回も大勢が参加されました。

まずは、「子育て」と「育児」のイメージの違いを切り口にお話を始められました。参加された方数人にマイクを回しイメージの違いをお聞きしましたが、皆さんはいかがでしょうか? 
参加された方達は「子育て」と聞くと、友人知人や地域全体で長期的に取り組む事、やわらかい、広いイメージ、という声が挙がりました。一方「育児」については、家庭内の事、子どものお世話というイメージ、専門用語であり狭いイメージと答えられていました。先生はこの二つの言葉は江戸から現代までの歴史と重なり、江戸は子育て、現代は育児に重ねられるとお話されました。それは、歴史が現代に近づくにつれ、母親が1人で学んで詰め込み、自分の子どものみに焦点を合わせ家庭に閉ざされてしまったことを表している、とのことでした。この反省を生かし、地域に目を向けていくのが今の子育てに繋がるのではないかと提起して下さいました。
また、内在的に大人が子どもをどのように捉えているのか、日本と外国の様子を比較して教えて下さいました。韓国やチリでは親子連れの方に出会い、子どもがぐずったり子どもに話しかける際には、親を通さずすぐに抱き上げてあやしたり、子どもにダイレクトに声をかけるそうです。日本でいきなりそのようにされたら、親御さんは驚かれるのではないでしょうか。日本は親と子をペアに考えているところがあり、子どもに関わるにはまず親を通してからになる。つまりこの事は、子どもは親の所有物と言う意識が強い表れだと指摘されました。逆に韓国やチリは子どもを対等に見ていることになるのだと仰いました。

次に、富山大学の学生が江戸と現代の子育てを比較して男女のジェンダー論について学んだ際のレポートを紹介して下さいました。沢山先生も学生たちの視点の鋭さに驚かれ、いかに今の子育てが不自由かわかり、歴史を学ぶと言うことは「過去と現在を対話して未来を考えていく事」であるか、と仰いました。学生たちの指摘から江戸の子育ては基本的に子どもを「家の子」であると同時に「村の子」として捉えていたため、たくさんの人が1人の子どもに関わり、育てるため責任が分散されていたと説明して下さいました。一方、現代の育児は母親1人のプレッシャーが強く、子どもの数も減り、子どもを持て余し、このことが虐待の歪みを生んだと仰いました。実際、現代の教科書に「親は女性」と書かれていたそうです。このことや、子どもを取り巻く環境の変化からも、先述した「子育て」と「江戸」、「育児」と「現代」が重なるとの意味がよくわかりました。

続いて、先生は「捨て子」に焦点を当ててお話して下さいました。捨て子の歴史的記録については岡山県津山市の記録からたくさん出てきたそうですが、先生は、もし今それほど多くの捨て子が居たら貰い手はあるのか、なぜこの時代に捨て子が多く、また貰い手も多いのか疑問に思われたそうです。さらに歴史を深めると犬将軍と言われた徳川綱吉が「捨てられた子(動物)を見つけたら、見つけた人、またはその村が育てるように」という旨の法令を出し、そのため、江戸時代には「捨てたら必ず拾われる」→「自分達で育てられなくなったら捨てれば確実に命が繋がれる」という構図が出来上がっていたそうです。
また配布資料として江戸の「捨て子」の様子を描いた資料がありました。その絵を見てどう思うか参加者の感想も聞きました。その資料には捨て子を見つけ囲むお役所らしき人物とその様子を蔭から見守る親らしき人物が描かれていました。先生は、この絵から親はあえて裕福な家庭の前や、人が通りそうな時間帯に子どもを捨てて、無事拾われるまで見守っている事が読み取れると説明して下さいました。先生のお話を聞き、「捨て子」の持つ少しマイナスなイメージが、江戸の親は決して愛情が無いから子どもを捨てるのではないのではなく、逆に、愛しいわが子の命を確実に繋ぐために「捨てる」ことを選んだ親の気持ちを感じました。先生はこの事を「生き延びるための捨て子」と表現されていました。
また、名付けについても江戸と現代とは子どもを思う気持ちの違いが表われているとお話し下さいました。例えば江戸時代では、幸せの象徴である「鳩」と、人から助けられる「助」を合わせて「鳩助」という名前を付けられたり、末広がりの八十八を組み合わせて「米」と「吉」を合わせて「米吉」と名付けられ、そのどちらもその子の幸せを祈っている事がわかると説明されました。しかし明治時代になると、警察が捨てられていた場所にちなんで機械的に名前を付けたために、明らかに捨て子だとわかったそうです。先生は、「名前は一番短い物語」と言葉にされましたが、本当にその通りだと感じました。これらのことからも江戸は地域の人々が子どもを育てる社会だった事がわかるそうです。
ところが、近代になると親子心中が増え、心中場所は家の中など人目につかないところで見つかり、特に母子心中が多くなります。父子心中も無くは無いのですが、母子心中とは理由が異なるそうです。母子心中に至る理由の多くは家庭不和が原因だそうですが、父子心中に至る理由は貧困が挙げられ、ここにもジェンダーの違いがあると仰っていました。
なぜ、近代になるにつれ親子(母子)心中が増加したのか。それは、子どもを育てることに対し、親だけに責任があり地域でも育ててくれない社会になったこと、核家族の増加により「家」の在り方(後継ぎなどの意識の低下)の変貌により我が子の結びつきが強くなり道連れという選択肢になったのだと説明されました。また、親子心中とは、子殺しと自殺が合わさったものだが、子どもを残して自殺できない親の愛情を称賛した社会があり、このことは、子どもを「社会の子ども」として見ていない、と指摘されました。

次に、「3歳児神話」の疑問についてお話を頂きました。この言葉が普及したのはいわゆる団塊世代の頃で、この言葉には3歳までは確実に生き延びている事、母親が家事・育児に専念できている事が裏付けされているとお話して下さいました。また、この時期に「一姫二太郎」の意味が変わってきたそうです。江戸時代は家を存続させるために後継ぎを確実に残すために女の子は1人、男の子は2人(長男に何かあった時のために)計3人という意味だったのですが、この時代になり最初は育てやすい女の子、次は男の子の計2人で良いという意味に変わったようです。
このように子どもの数が減り、子どもを育てるという行為が閉ざされていく中で子どものいろいろな問題が起こるようになってきたとのことです。(その問題に関しては昨年お話をいただきました)。そのため「子育て支援」と「育児ノイローゼ」という言葉が増えてきたようですが、先生は、子育て支援が母親に対して「頑張れ」という支援になってしまっている事を懸念されていました。忘れてはいけない事は、子どもは親が伸び伸びした分、伸び伸びできるとのことなので、子育て支援は親を支援する事でもあるが、一番は子どもを中心に支援する事であると仰いました。また、「助けて」と言える力を持つ事が大切だと教えて下さいました。人に助けを求めない人は、自分で何でも出来ると思いあがっているとも言え、助けを求められる人間関係が出来ていないことを表していると仰いました。

最後に2冊の絵本を紹介して下さいました。1冊目は「おおかみと七ひきのこやぎ」(グリム童話/フェリス・ホフマン:え/せた ていじ:やく)です。この絵本は使われている色が少ないため、子どもに読み聞かせをすると色々なところを敏感に感じ取り、気付くそうです。例えば、母親の目線からわかる愛情、作中には出てこない父親の存在、歴史、時間・・・そのような文章では語られない大切な気付き、子どもに伝えたいものが詰まっていました。先生は子どもに「良い文化を与える=良い文化を食べる」と、良く育つため大人がいかに良い文化を持ち、伝えられるかが大切になってくるとお話し下さいました。

2冊目は「サンタクロースってほんとにいるの?」(てるおか いつこ:文/すぎうら はんも:絵)です。この絵本から先生はご自分のお子さんに対してクリスマスをどのように過ごされたか、いつの時点でどのようにサンタクロースの存在をカミングアウトしたのかをお話し下さいました。先生の経験談に大きく頷かれる参加者も多く、ご自身のクリスマス時期の子育てを反芻されているようでした。
この絵本の題名通り、子どもに「サンタクロースを信じさせる意味」については、サンタクロースを信じていると心の中にサンタクロースのお部屋が出来、それが何かの拍子にサンタクロースは居ないのだと言うカミングアウトを受け、サンタクロースがお部屋から出て行ってしまっても、サンタクロースを信じていたものに代わるものを入れることができ、このことが他人(サンタクロース)を信頼する空間になるとのことでした。そして、人を信頼すれば助けを求める力に繋がり、自分のことも信頼出来るようになる。つまり、自分のことを愛せる人は他人の事を愛する力になるのだとお話し下さいました。

歴史の勉強とは、自分を振り返るチャンスで、自分を相対化できる事であり、他人に対する思いに繋がること。そして、幸せな事に、自分を育てる事と子どもを育てる事は一致するので、子ども達に文化を与え、いのちを繋いでいくことの繰り返しが文化になり、歴史を紡いでいくのだと仰いました。それは普通でありながら奇跡にも近いこと、とも。
先生は最後に、それぞれが課題を持って今回のような場に聞きに来ている事、問いを持ち続ける事が大事だと仰いました。そして、15のまなびを出会いの場とし、常に学び続け、人と人との繋がりを大切にすることが自分も他人も支えることに繋がるのだとお話し下さいました。子ども達が良い文化を食べる機会を増やせるよう、一つ一つのまなび、人との出会いを大切にしていきたいと感じる学びとなりました。

午後は参加者一人一人が自己紹介と午前中の感想、質問を述べました。今回も多様な職種の方が参加されましたが、皆さん先生のお話の中でサンタクロースのお話が印象に残っておられるようでした。ご自分のお子さんに対してクリスマスプレゼントをどのように渡されていたのか、いつサンタクロースの存在をカミングアウトしたのかという話をして下さり、笑える「親の心子知らず」な経験談が多く出て、和やかな雰囲気でした。